南スーダン
photo by retrip.jp

PKOの派遣団が出動せず、その結果、数多くの犠牲者が出てしまうという最悪の事態を招いた南スーダンの事件。そもそもこの国の紛争がきっかけで起こってしまったのですが、南スーダンの紛争は何が原因で始まったのでしょうか?

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南スーダンという国ができるまでの道のり

紛争が起こった原因を語るには、まずこの国ができる前までさかのぼらなくてはいけません。

もともとスーダンという一つの国があり、そこには二つの宗教をもつ人が北部と南部に分かれて暮らしていました。

そしてイスラム教徒の多い北部が、キリスト教の多い南部を支配する形で国は成り立っていたのですが、支配されていた南部の人間はそれに反発して、長年国内では北部と南部の間で繰り返し戦争が起こっていました。

紆余曲折を経て、2011年の1月に反発していた南部が独立して「南スーダン」という国ができました。

一時停戦していた期間もありますが、50年以上の長い間の内戦を経て南スーダンは独立を果たしたのです。

対立する二つの民族

念願の独立を果たした南スーダンですが、当初から国内では良くない空気が漂っていました。

その原因は対立する二人の人物にあります。

一人は南スーダン最大の民族ディンカ出身のキール大統領。
そしてもう一人は2番目に大きいヌエル出身のマシャール前副大統領です。

もともとこの二人は「スーダン人民解放軍(SPLM)」の組織に所属しており、一緒に独立を勝ち取ったいわば同士のようなものです。

「仲間同士が、目的を果たしたら敵同士になってしまったのか・・」と思いますが、実はそうではなく、独立戦争中の間も二人は対立し、マシャール氏は一時期SPLMを離れた事もあるのです。

お互い敵対するのは「二人の出身が、それぞれ違う民族だから」というのが大きな理由のようです。

ディンカ族とヌエル族の人々は、自分と同じ民族出身の人間を、国のトップにしたいと考えており、その結果大きな二つの派閥に分かれてしまったのです。

その派閥のそれぞれのトップがキール大統領とマシャール前副大統領という訳です。

独立後マシャール氏が副大統領になった事で、しばらく派閥争いは収まっていましたが、水面下では対立が続いており、キール大統領がマシャール氏をクビに!

すると、それをきっかけに怒ったマシャール氏が軍をあげて政府と衝突。
それに応戦する形でキール大統領も軍を上げ、民族間での争いは泥沼化してしまいました。

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2016年の南スーダンの現状

長年の内戦の末に果たした独立。

これで戦争も終わり、安心した生活がやっと送れるようになると、希望を持った国民も多く居たと思います。

しかし、また再び国内で大きな紛争が起きてしまい、国民の多くが疲弊しきっているのではないでしょうか。

悲しい事ですが、今の南スーダンに住んでいるほとんどの国民が「争いのない時代」を知らないのです。

戦争の中で産まれ、戦争のなかで育って大人になってしまった人が多くいます。

みんなどんな辛い気持ちで毎日を過ごしているのでしょうか?

しかし南スーダンの人々は辛い毎日に悲観している暇などないくらいに、みんな今日を生きる事に必死です。

今日生きるために・・食べるものを得るために必死なのです。

食料がなくて困っていても、国が崩壊寸前ですから政府は助けてくれません。
外国の援助に頼るしかありませんが、食料支援も十分ではなく、飢えに苦しんでいる人達がたくさんいます。

特に女性や子供のような弱い立場の人は、暴力や略奪の対象になりやすく毎日のように誘拐や殺人などの悲しい事件が国内では起こっています。

争いの中で育った人間は、争う事でしか生きていけないのでしょうか?

今の南スーダンの子供達には平和な世界を見せてあげたいと誰もが思っています。